安定期まで妊娠したことを言っちゃダメ、と散々言われてきた。万が一のことがあるかもしれないから、と。故に安定期前の今の私は、夫と上司にしか妊娠を報告していない。
では妊娠しているけれど妊娠していないことになっている私がどういう生活をしているかといえば、幸いにもつわりは軽いためいつも通り働き(働かされ)、マタニティマークをつけていても通勤電車では席を譲ってもらえず、家に帰れば妊婦なのでお酒は飲めず、休みの日も趣味のスポーツを辞め、妊婦バレ予防のため友人や同僚にも会えず、もちろんつわりだの母子手帳だの近況報告をする相手もおらず、ただ働いて食って寝るだけの孤独な日々を送っている。
安定期まで、5ヶ月ある。
赤ちゃんのためと思えば仕方ないと諦めもつく。つくけれども、そもそもこの「安定期まで言っちゃダメ」の呪いはなんなのだろうか。
私の友人も同僚も優しい人たちである。一言、「妊娠中です」と告げれば酒は勧めずタバコも吸わず体調に配慮しつつ最近の調子など聞いてくれるだろう。もし万が一のことがあるかもしれないから、というなら、万が一の時こそ配慮してほしい。一番悲しくつらい時まで自分ひとりで抱えなければいけないのはおかしくないか。流産が少なくない確率で起こり、なくせないものなら尚更、周りが気遣ってくれよ、と思う。
要するに、「万が一があるかもしれないから」というのは、妊婦の為の言葉ではなく報告された側の為の言葉なのだ。一喜一憂させんなよ、気遣わせんなよ、迷惑かけんなよ、そんなJAPANの空気を感じる。
万が一のことがあったときに、それを報告するのがつらい人は言わないでよろしい。でも私は、自分の人生で一番悲しいことが起こったときくらい、辛いアピールをして周りに配慮され、助けてもらいたい。助けてくれると信じられる人たちとこそ、喜びも悲しみも分かち合いたい。
そう強く思っているのに、それでもなお言えないのはなぜなんだろう。かくして、アンテイキマデアンテイキマデと呟く妖怪は誕生したのである。