口の奥の本棚

古に絵本の紹介をしていたブログ。今はたまーにてきとーに思ったこと書いてます。

FIRE

産休&育休に入り早半年。

久しぶりに職場の人と会って話したら、そのうちのひとりがびっくりすることを言っていた。

近々FIREするというのだ!

投資で将来まで見通せるくらいに儲かっているらしく、働く必要がなくなったとのこと。すごい、こんなこと本当にあるんだ!と面白そうな話に即座に食いつく私。

「仕事辞めて何するんですか?!」

「悠々自適に暮らしたいんだよね」

「いいっすね!悠々自適に何するんですか?!旅行?!趣味?!」

「いや悠々自適…仕事しないでのんびりしたいなって」

「え…?」

今から書くことはあくまでも個人的な私の価値観であって、それがいいとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、そういうことを偉そうに語るつもりではないしその人のことを批判するつもりもない(というか批判するほど人の人生に興味も責任もない)。どこまでいっても私が思ったことを羅列するだけで、本当に余計なお世話な話だ。

この先輩は配偶者も恋人もおらず、趣味もなく、お金があるばかりに仕事(もっといえばキャリア)まで手放して、何のために生きていくんだろう…?

ごめん、本当に余計なお世話です。

人の考え方だからそれがいいんだと言われればそうなんですねと思うだけです。でも。

私は産休に入って意図せずFIREみたいなことを経験し、毎日することがある有り難みをつくづく感じた。仕事をしなければ、私は誰かが作ってくれた物や時間をただ消費するだけの存在だ。暇を潰して過ごすには人生はあまりにも長すぎるし、人生をかけて熱中できる何かを見つけるのは意外と難しい気がする。勿論FIREした先輩がFIREした先で生涯をかけられる何かを見つけたり、恋人を見つけたりするかもしれないし、そうであってほしい。でもさ。なんだろう。1億あっても2億あっても、その先輩みたいになりたいって、私全く思わない。

子どもを作って本当に良かった。

先輩のように莫大なお金はないし、これからは時間も余裕も自由もない。多忙で必死でストレスフルでその割に人並みな、平凡な人生。でも、愛する人がいて、その人たちと暮らせて、その生活を守る為にするべきことで一生が呆気なく終わる。それでいいんじゃないかな。

別にそれが家族じゃなくて趣味でも仕事でも何でもいいと思うんです。一生を大事だと思えるものに費やすことができるなら。

1億あっても2億あっても手に入らないものを、私はもう持ってるってことなのかもしれない。

 

ちなみに私がFIREするとしたら、職人の弟子になりたい。ライフワークを決めて技術を磨いて、定年なんてない世界で死ぬまで働きたい。

 

そして愛する家族がいる上で巨万の富が手に入るならそれはもちろんWELCOMEです。

卒業式

明日は1ヶ月健診。これで私の出産にまつわるイベントは全て終わる。もらった病院の冊子も、最初はわからないことだらけだったのに、もう全て経験済みになって、開くこともなくなる。寂しいような、不安なような。明日は私にとっての卒業式。

妊娠してからの気持ちをぽつぽつ書き留めていたけれど、あれからいろいろあって、産休に入ったあたりから全く書けなくなっていた。出産自体はとても安産で、育児の環境も恵まれていて、有難いことばかりだったのだけど。気持ちがついていかなくなってしまって、恵まれた環境にいるのに出産にまつわる一連の出来事がトラウマ化して、そんな自分が情けなくて、こんなに幸せで有難い条件下なのにこんなに苦しんでいることが申し訳なかった。しばらくは昨日のことも明日のことも考えるのが怖くて、マタニティブルーというよりは産後うつに近かった。今1ヶ月経って、少し風化した記憶をちょっとずつなぞることができるようになってきたけれど、それはデフォルメされた、本当の形ではない景色なんだろう。そのときのことは書くかもしれないし書かないかもしれない。でもできればあのときのフレッシュな気持ちを書き留めておきたかった。

妊娠中に書いたブログを読み返して、なんと強い母(当時はまだ妊婦だけど)だったんだろうと、うつに片足を突っ込んでいた自分は驚いた。そして息子はおなかにいたときからこんなに愛されていたのだと、自分が書いた文章に自分で励まされた。

とにかく頑張ったのだ。今はそう言える。こんなトラウマ化した体験にもう一度挑戦するかどうかわからないけれど、一生に一度かもしれない経験、できてよかった。これが良かったか悪かったかはわからないけれど、私は望んで引き受けたのだ。不妊治療までして、自分の希望でこの道を選んだ。そう考えると自然妊娠じゃなくてよかったとすら思う。

支えてくれた(たぶん人一倍お世話になった)産院には本当に感謝している。明日は外来だから仲良しの先生や助産師さんには会えないだろうけど、1ヶ月経って成長した息子を見せに行くのが楽しみだ。寂しさと、不安と、感謝と、楽しみな気持ち。卒業式みたいな、こんな懐かしい気持ちを今また思い出しているのも、出産したからこそかもしれない。桜は咲いていないけれど、残暑の強い陽射しを味わいながら、新しい道を進んでいこうと思う。

 

(そんなわけで無事産まれたので今まで下書き保存していた文章を一気に放出しました)

人運が強い

安定期に入っておなかが膨らみ胎動がわかるようになると本当にあっという間で、なんともう臨月目前である!妊娠初期はあんなに毎日指折り数え、自分を励まさないと過ごせなかったのに、今じゃあれ?もう◯◯週になった?!本当に生まれてくるの?もうちょっとゆっくりしていきなよー!という感じ。

それもこれもななはんが親孝行ベイビーで、私は本当に妊娠前と同じような生活を送らせてもらっているから。妊娠後期は頻尿だの眠りが浅いだので頻回覚醒するという情報を他所に毎日8時間ぐっすり眠り、恥骨痛という言葉すら知らないまま1万歩以上散歩しまくり、内臓が圧迫されて…というルナルナを見ながら焼肉定食を平らげる。9ヶ月の時点で歯の詰め物が取れて、臨月ギリギリまで仰向けで歯医者の治療を受けた。でも全部、全然問題ないしつらいことも何もなかった。全てななはんがいい子のおかげだ。ありがとう。

私は人間関係の運、人運みたいなのが強いと思っている。

家族は両親共ずっと仲良しだし、親戚仲も良くて、厄介者みたいな存在はひとりもいない。学校でも職場でもいじめられたり叱られたりした経験がない。夫とは初めて付き合ってそのまま結婚したし、10年経っても変わらず仲良しで…そう考えると人由来のつらい経験はほとんどしたことがない気がする。

そして私がそういられるのは、勿論運がいいからなのだけど、自分は人運が強いことに気づいて、ありがたいなーと思っているから、という点もあると思う。

 両親が手伝いにきてくれてありがたい、叔父がマンションを安く貸してくれてありがたい、職場の人たちが心よく産休に入らせてくれてありがたい、夫がいてくれてありがたい、ななはんが私を困らせないでいい子にしてくれてありがたい。今日お世話になったカメラマンさんも、立ち寄ったお店のスタッフさんもすごく良い人で、その仕事振りにお世話になった。ありがたい、私も復帰したらいい仕事をしよう。

店員さんなんて良い人だったな〜くらいで済ませられるんだけど、そこで「やっぱ自分は人に恵まれてるわ。ありがて〜」と誰かに支えられていることに気づいたとき、自分もそういう人でいようと思える。周りの人たちと同じように自分もいい人でありたいと思えるから、その流れは循環していくような気がする。

 

逆に循環を滞らせるような人とは付き合わない方がいいともいえそうだけど。笑

これからもどんどん良い人と出会って、自分は恵まれているなーと幸せな気分になりたい。その為に自分も良い人間であろうな。

引っ越しました

引っ越して半月が経った。

引越した部屋にトラブルがありしばらくはそれに悩んだり絶望したりしていたのだけど、少し慣れ始めてきたのが今。初めて本格的な引越しをしていろんな経験と学びがあったなあとようやく振り返れるようになってきた。

引越し当日、思い出の部屋を0にし去る日はどんなに寂しくつらいだろうと思っていたが、びっくりするくらい全然そんなことなかった。むしろ夫と再出発だ!という前向きな気持ちと、この街を離れる実感のなさ、やるべきことの多さで、明るいくらいだった。新しい生活への期待感もあった(それが引越した当日からひっくり返ることになったのだけど)。辛かったのは引っ越してきたあとだった。

前の部屋は前の部屋で、慣れただけでありえないようなことがたくさんあった。上の住民が発狂するとか、前の通りの救急車の音がすごいとか、隣のインド人が料理するたびに部屋中がスパイスの匂いになるとか、時折下水の匂いが流れてくるとか、浴槽の汚れとか、ゴミ捨て場が無法地帯だとか、街の民度が低いとか。でもみんな慣れたし、それよりも日当たりや周辺環境の便利さ、部屋の使い勝手の良さが気に入っていて、とても幸せに暮らしていた。

だから今回の部屋もいずれ慣れる、100%満足いく部屋は存在しないし、何事にもいいところと悪いところがある。頭ではそうわかっていても、越してきてしばらくはかなり鬱々としていた。

騒音である。内見のときには気づかなかったけれど、部屋のすぐ外にある受水槽のモーター音が一日中どこの部屋にも響いている。マンションの住人が水を使うたびに?音が鳴ったり止まったりする。住人がいるのは朝と夜だから、体感ずっと鳴っている。元来耳が弱い自覚のある私は、こんな部屋でこれからずっと過ごせるはずがないと、しばらく騒音対策グッズを検索しまくり、引越し失敗の体験談を読んで絶望したりしていた。

私は問題をそのまま放っておくことができない。荷解きは翌日にほぼ終えたし、 役所手続きに職場の書類提出、スーパーや周辺環境のチェック、転院、地元民の集まるカフェでの情報収集まで、全て1週間でやった。そんなペースでいたら絶対疲労がたまっているだろうに、それと並行して 騒音問題を解決し安心を得られる算段が立つよう躍起になった。

無理です。

問題を解決しないと不安でくつろげない、整っていないと落ち着かない、やるべきことが頭を離れない。こんな性格じゃ今は良くても産後は崩壊するだろう。もう少し夫のように、今は休む、いずれやる、それまでのカオスを放っておけるようにならないと。引越し後1200%のスピードで全てをこなし勝手に疲労し挙句キレる妻に、夫はさぞかし驚いたことだろう。自分のやるべきことが何も残っていないのはいいが、自分がいずれやるつもりだったことを妻にさせている(こっちが勝手にやったのだけど)息苦しさもあったと思う。私は自分が全てを調べ尽くし効率よく片付けるおかげで生活が回っているという自負が、私が全てをやらないと何もうまくいかないのだという思い込みによるプレッシャーを生み出していることに気づかなかった。

これはもう性格だからすぐには直らない。産後もきっと同じパターンに陥るだろう。だからちゃんと記録して覚えていようと思える経験だった。

 

ちなみに騒音は全然解決できていない。

親孝行ベイビー

 

つわりもねえ、むくみもねえ、便秘もなければ張りもねえ!

腹も出ねえ、線も出ねえ、血圧糖尿異常なし!

食べて寝て!働いて!いつもと同じ労働時間

腰痛ねえ、気づかれねえ、胎動だけがぼ〜こぼこ!

オラこんなんでいいか〜?妊婦だけどいいか〜?産まれるんか〜?

産まれるなら もいっこついでに 安産で頼むわ〜〜

 

 

引越しブルー2

引越し準備をする前に、この部屋の写真を撮ったり絵を描いたりしようと思っていた。

でも石橋を叩いて壊す系の計画性の鬼のような私は、1ヶ月前から少しずつ荷造りを始めて、「思い出の部屋」が「引越し前の部屋」になってしまい、写真に残すべくもなくなってしまった。

夫と同棲し始めたこの部屋。楽しかった。引越したばかりの頃はベッドもなくて、2〜3ヶ月は硬いフローリングに敷いたカーペットの上に、2人で1枚の毛布を被って寝ていた。真冬だったはずだけど…。夫が出勤前に毎日、私の大事にしているぬいぐるみたちをきちんと並べて寝かせてくれることに感動した。私の大切なものを同じように大切にしてくれて嬉しかった。

洗濯機もなかなか買えなかった。水栓が低すぎて入るサイズを探すのに苦労し、うちに洗濯機が来たのはゴールデンウィークになってからだったと思う。それまで毎日洗濯はどうしていたのだろう…手洗いで乗り切っていたはずだけど、今考えると信じられない。

テレビ、ラック、夫の本棚や懸垂スタンド…少しずつ暮らしが整って、生活スタイルが築かれていった。使うスーパーも、近所のおいしいお店も、たまに行く病院も、だいたい決まって馴染みが出てきた。ケンカはもともと少なかったけど、住めば住むほど少なくなって、いってきますとただいまとありがとうとおやすみなさいが繰り返される、それはそれは幸せな生活だった。

もうすぐ、越してきた時と同じがらんどうの部屋になる。頭ではそうではないとわかっていても、なくなってしまうような、元に戻ってしまうような、また0から始めなければならないような、切なさと心細さ。でも、乗り越えなくてもいい。あんまり辛いようなら対処法もあるだろうけれど、今は時の流れに身を任せつつ感傷に浸りたい。

夫が大好きだった。夫と初めて一緒に暮らして、毎日夫が家に帰ってきて、何の用事がなくてもお金を払わなくても毎日会えて、世の中の結婚している多くの人たちがこんな幸せな思いをしているなんて、なんだみんな結構幸せなんじゃんとか思って、数年経ってもその幸せは薄らぐどころかますます濃くなっていって、そんな生活がまだまだこの部屋で続くと思っていた。

もちろん新しい生活も愛する夫と一緒で、何の心配もいらないことは頭ではわかっているのだけど、何かが変わってしまうんじゃないかとか、家の運気が変わって雰囲気がおかしくならないかとか?なんかばかみたいなことまで考えてしまう。一方で、ある程度の変化は大事だと理解しているから、無駄に抵抗しようとは思わない。この部屋に何十年住んでいれば変わらず幸せというわけではないし、むしろ変化が欲しくなって悪手を指すようなことになりかねない。必要なときに必要な風に乗るのはいいことだ。

結局どっちつかずの心が、寂しさに吹かれて倒れ、理性によって起き上がり、また倒れたりする。遠くから見れば、それもエモい光景だったりして、ああ人生。

引越しブルー

夫婦二人の生活から家族三人の生活になるにあたって、引越しをすることにした。今住んでいるところはとても便利で、何をするにも徒歩圏内で、とても気に入っていた。部屋の間取りも丁度良く、日当たり良好、上の住民が発狂したり目の前の道路をしょっちゅう救急車が通ることにももう慣れてしまっていて、もし夫婦だけならまだしばらくここに安住したと思う。

だから、急遽決めた引越し先の内見をして、引越しブルーになってしまった。引越し先は「俺の隣の4LDKあいてるよ、おじさんのマンションだから賃料まけてもらいなよ」という弟の鶴の一声で決めたのだけど、行ってみたら思ったより日当たりが悪く、天井も低め、閉所恐怖症の私にはピンとこない部屋だった。それでも部屋数は増え、実家も近くなり、賃料も今と対して変わらず、妊娠7ヶ月の今探し直す時間もない。今住んでいるところは気に入っているけれど、その地域の学校には絶対通わせたくないという意見は夫婦一致していて、職場も遠すぎて保育園に支障が出るし、つまるところどう勘案しても、引越しは既に決まっていた。

今の日当たりのいい部屋でゴロゴロしながら、心はしかし曇りがちである。もっと探せばいい部屋が見つかったんじゃないか…とか、日当たりだけどうにかならないかな…とか。夫も私も変化はあまり好まない性格で、「一緒に内見して同棲して結婚して、初めて生活が楽しいと思えた部屋だった」と夫もセンチメンタル気味。それだけ幸せに暮らしてきた部屋だった。

だけど。引越しブルーに陥りながらも、今の私は昔の私とは違うなと思うことがある。それは不安なときもポジティブな要素を探そうとできるようになったこと。

これは夫婦の歴史だ。2DKで同棲結婚し、4LDKで赤ちゃんを迎える。新しい部屋は夫と息子との思い出ですぐいっぱいになるだろう。どうしても嫌だったらすぐ引っ越せるのが賃貸のいいところだし、産まれたら部屋なんぞにうんうん言ってられるほど余裕のある生活でもない。流れと運に身を任せようじゃないか。

プーさんも言ってた、さよならがこんなにつらい相手がいるなんて、僕はなんて幸せなんだろうって。今は、ただこの部屋で経験した幸せな日々を精一杯噛み締める。夫との生活は優しさと愛に溢れていて、喧嘩なんて数えるくらいしかなくて、とても居心地が良くて、人生で確実に一番幸せだった。その思い出は変わらないし、これからもっともっと増えていくと信じている。

夫と同棲し始める前、自分の努力故ではない希望がこんなに将来に溢れることなんてあるんだ、と驚いた。今度は夫と一緒に、それを経験しよう。息子に会いに行こう。

 

……そういってるそばから日当たりの改善方法、検索してるんですけどね。

出生前診断

 

おなかにいる子に障害や問題があるかどうかを調べられる出生前診断というのがあって、受けるのか受けないのかは妊娠したカップルが必ず通る問題だ。

うちは出生前診断はしなかった。

妊娠する前は、出生前診断はするかもな〜と思っていた。でもいざできますよとなって話を聞いたら、的中率はそんなに高くない。NIPTは99%の確率でわかるようだけど、目ん玉飛び出るくらいの値段がする。お金をかけたって本当のところは生まなきゃわかんなくて、結果が出たって外れてる可能性もある。

夫にどうする?と聞いたら「障害があってもどうせ堕さないし、自分たちの子だからたぶん大丈夫でしょ、やらなくていいんじゃない」とさらりと言ってのけた。私はこの言葉にすごく感動した。どんな子でも堕さない。自分たちなら大丈夫。そんな強さをこんな軽さで言える夫となら、本当に大丈夫だ。私は「そうだね」とだけ返して、何にも悩むこともなく、出生前診断のことは忘れた。

 

でももし検査して、もし障害があったら、どうしただろう。

結局産んだと思うのだ。

 

妊娠してから今日に至るまで、経験してみないとわからないことがたくさんあった。妊娠にまつわるイベントのあれやこれやが意外とドラマチックではなかったこと。思ってたほど子どもができた実感がわかないこと。それにも関わらず自分の中で「赤ちゃん」に対する思いが芽生えて、妊娠前とは全く違う考え方をするようになったこと。優先席は全然譲られないことも、胎動が「わっ動いた!」という感じではなくてぐねぐねぐねぐね延々と動くことも、経験して初めて知った。

障害をもった子の子育てが大変なのは火を見るより明らかだ。でもどう大変なのか、どれくらい大変なのか、それは生まれた子に接して、実際に経験してみないとわからない。わからないのに、拒否する理由になるだろうか。命と代えてまで。

独身で反出生主義の友人は「もし子どもに障害があったら絶対後悔するから、私は妊娠しない」と言っていた。妊活を始めるまで私もその気持ちはすごくよくわかって、責任を負えるかどうかわからないのに産む可能性のある行動をしてもいいのだろうか、という疑問は常にあった。でも今「障害があったらどうするの?」と聞かれて出た言葉は、「どうするも何も、存在しているんだから育てるしかなくない?」「後悔して過去に戻れるならいいけど、結局戻れないならどうにもならないじゃない」だった。

この言葉は、もし本当に障害児を育てることになったらすぐに撤回するだろうと思う。つらい、投げ出したい、こんなことなら…と全てを後悔する瞬間がきっとある。でも今は、その起こるかもしれない可能性を天秤にかけても、夫と子どものいる生活をしてみたい。夫との子どもを諦める理由にするには、あまりにも未知すぎる。

こんな言葉を自分が言うなんて、思っていなかった。妊娠前はこんなことを言う人はすごく無責任で、考えなしで、計画性がないと感じていた。でも今は、そんなことを言ってしまう自分が以前よりとても強くなったように、頼もしく感じる。考えてもどうにもならない問題を、引き受けて乗り越えることにしたのだ。引き受けて乗り越えてしまうくらい、この子を切望したのだ。

いったいどんな子が生まれてくるんだろう。

どんな子でも、私たちの子どもだ。

拍子抜け

おなかの中に赤ちゃんがいる生活も、もうすっかりなじんでしまった。

エンジェルサウンズで臍帯音や心音が聞けるようになって。おなかが出てきて。胎動がわかるようになって。

あ〜〜ここにいて、そして産まれてくるんだなってことを疑わずにいられるようになったら、なんだかすっかり安心してしまっている。

もうそろそろ性別もわかるよう。

何者でもなかった赤ちゃんが、性別がわかり、顔つきがわかり、個性が出てくるのがちょっと怖い。自我を持ち、自分の思う通りにはならない存在だということを少しずつ思い知らされる。

私が今一番関心があるのは、やっぱり赤ちゃんのこと。胎内のベイビーの様子を教えてくれるアプリは毎日チェックしているし、図書館に行っても出産や子育ての棚に自然と足が向く。休みの日には胎動があるタイミングで読み聞かせも始めた。

だけど一方で、ここまで何もなかったなという感じがすごくする。世に聞く壮絶なつわりや、エコーに映った胎児に涙する経験、妊婦として配慮が必要な生活、など。ありがたいことに、何もなかった。若干の体調不良や欠勤はあったものの、私は今でも妊娠前と同じ満員電車で通勤し、周りと同じように働き、1回も吐かず、体重も気にせず、何かに悩むことも不安に思うこともなく気ままに過ごしている。エコーでだんだん大きくなる胎児を見て、すごいな、嬉しいな、と思うけれど、何か言葉にならないものがぶわあっと溢れてきて…みたいなことは一度もなかった。

妊娠、こんなんでいいのか?

なんだか拍子抜けである。

生まれたあときっとこの伏線を回収することになるのだろう。あんなに余裕ぶっこいていたのに、と…

優先席

以前自分がマタニティマークをつけることに抵抗がある、不妊治療をしてきたことでそのマークに傷つく人がいることを知ってしまった、と書いたが、その後安定期に入るまでに、私のその優しさゆえの抵抗感は全くなくなってしまった。むしろ今では盾のように、まるで妊娠を誇示するかのようにつけている。

なぜか。誰からも配慮されないからだ。

妊娠して驚いたが、電車で席を譲られることはほぼない。それどころか満員電車でぐいぐい体を押されたり、体調不良から優先席の前でぼろぼろ涙を流していても総スカンだったこともある(そんな状態で席を代わってくれませんか、なんて声をあげられるわけもない)。誰も私のカバンの小さいキーホルダーのことなど気づかないし、気づいても気づかないフリをする。

もちろん私も必ず席を譲ってほしいとは思っていない。体調がいいときもあるし、自分はつわりがだいぶ軽かったので妊娠していないときと同じ電車に乗り続けたのも悪い(どうせ都内の通勤電車は何時に乗っても座れない)。座っている目の前の人の方が具合が悪いかもしれないし、おじいちゃんおばあちゃんが来て私が席を譲ったこともある。

でも、だ。私はマタニティマークを見かけたら必ず席を譲ってきたし、優先席に座ることにも抵抗があったし、例えそこに座っても他に座るべき人がいないか常に注意していた。それが当たり前だと思っていた。だから自分が妊婦になって、それはむしろ少数派なことなのだと、だいたいの人は寝たフリをしたり気づいても無視したりするのだということを知った。そうなれば私は世の中から自分と自分のおなかを守らなければならない。配慮されないということは過剰に配慮される心配をしなくていいということだ。私は毎日マタニティマークのついたカバンでおなかを死守しながら優先席の前に立っている。

そんな中でごく稀に、席を譲ってくれる人がいる。今緊急で座らなければいけない状況ではなくても、そういうときはお礼を言ってありがたく座らせてもらうことにしている。あとから混んできたりして座れてよかったと思うことも多い。

あの日、体調不良にぼろぼろ泣きながら声を出すこともできず、目の前の若いねーちゃんが優先席でスマホをいじっている姿を見つめていたあの時、あんたも将来同じ目に遭うがいいと思った。これからは絶対人に席を譲らない、あんたのしてきた行いがそのままあんたに返っていけばいいと思った。

でも、今日。座っていたお姉さんが席を譲ってくれて、そのときの言葉は「どうぞ」ではなく「気づかなくて」だった。気づかなくて、代わるのが遅くなってすみません、と。お姉さんの中には優先席は必要とする人に代わってあげるべきという前提があって、謝る必要もないのに謝ってくれたのだ。

私はどちらの人間なりたいのだろう。そんなのわかっている。例え自分がそう扱われてこなくても、私は「気づかなくて」と言ってくれたお姉さんのようになりたい。

自分が社会から求められていると思って遵守してきたモラルは、実際には崩れ去っていて、私は一生のうちのたった10ヶ月だって満足に恩恵を受けることができない。だけど妊婦じゃなくなっても、私はそのモラルを守って席を譲ると思う。その席を必要としている人がいることには変わりないから。自分がどういう人間でありたいか、示す為の行動だから。

思っていたのと違う

陽性判定が出たときも、妊娠の報告をしたときも、マタニティ生活のスタートも、思っていたのと違くてなんだか悲しい。

発表したらみんなワ〜〜オメデト〜〜とお祝いの雰囲気になると思っていたし、おなかに赤ちゃんがいる生活は密かな幸せに包まれた日々なんだろうと思っていた。でも実際、私の産休による人員不足に上司は頭を悩ませるし、私の周りには子どもが欲しいけどまだ出来ない30代女性もいて、まあ例えその人がいなくても隠してるだけでそういう人がいるかもしれなくて、だから妊娠報告も嬉しいことのようには全然できなかった。なんだか自首した犯罪者みたいだった。みんなはオメデトウと言ってくれたけど、私のトーンは完全に、迷惑をかけてすみません、辛い気持ちにさせてすみません、一生懸命働くので許してください、という謝罪だった。

しかも自首のタイミングが少し早くて、それは私が誰にも会えない話せない孤独に耐えられなかったからなのだけど、世間の「正しい妊娠報告の時期」に私の心が待てなかった罪悪感と心配で、自首した翌日から後悔が押し寄せている。こんなはずじゃなかった。本当に。

オメデトウと言われても、本当に生まれてきてくれるのかわからないのに素直に喜べない。体も心もこんなに変化して、話を聞いてほしくて、それで辛くて報告したのに、オメデトウと言われて終わりで何にもならなかった。安定期に入ったら言うという常識を守れなかった罪悪感と、これでダメになったらどうしようという心配と、結局何も相談できていない自分の心と、考えやすすぎる自分の性質が赤ちゃんに悪影響を及ぼしたらどうしようという申し訳なさと、いろんなものがごちゃごちゃになってしまって、私が妊娠するより夫が妊娠する方がよっぽど向いていたんだろうなと、既に自信を失っている。

願わくば、話を聞いてくれる人が欲しい。オメデトウではなく、大切なものが自分の体内で生きてるか死んでるかわからない不安をわかってくれる人、早く自首してしまった自分の弱さを許してくれる人、私の妊娠を喜ばしいこととしてお祝いしてくれる人。その全てが今夫になってしまっていて、夫に申し訳ない。仕事で疲れているのに、彼には彼の感情も不安もあるのに、私の激しすぎる感情の発露を一人で受け止めるのは酷すぎる。

おなかはいつでもしんとして、何の反応もない。もうダメかもしれない。こんなんで子育てができるのか。申し訳ない。

道化になっても

 

妊娠して一番不安なことは、流産してしまわないかということである。

ネットで見ていると、稽留流産では出血も自覚症状も全くなしに、検診で突然心拍停止を告げられるという。なんと恐ろしいことだろう。つわりはあるくせに生きているかは母体にも知る由がない。しかも妊娠には「○週の壁」というのがいくつもあって、その壁を乗り越えられずに亡くなってしまうケースが何%、と低くない数字が並んでいるのである。

運命は受精卵のときから定まっているのだから、不安になってもならなくても結果は変わらない、だったら不安になっても仕方ない。頭ではわかっていても、ホルモンのせいで不安定にさせられた精神では太刀打ちできないこともある。そんなときに、考えること。

 

私の学生時代からの友人に、半出生主義の子がいる。彼女は昔から、自分は生まれてこない方がよかった、子どもは生まれても幸せじゃないと思うから、他の人が産むのは止めないけど自分は産まない、と言っていた。私も昔はその気持ちがよくわかって、反出生主義とはいかないまでも、こんな大変な時代に産んでしまったら、幸せになれる確証もないのに無責任なのではないか、と思っていた。

でも今私のおなかの中には、生まれようとする新しい命がいる。その立場になってみたら、子どもは幸せになるとかならないとかで作るものではなかった。避妊しなかったからできてしまったとかではなくて、愛する人ができて、心から愛したら、その愛する人と自分の遺伝子が交わった存在というものを見てみたくなってしまったのだ。

例えば自分がこの先不幸になったとして、それは生んだ親のせいだろうか。幸せになったら、それは生んだ親のおかげだろうか。今幸せだったとして、その先ずっと幸せでいる確証もなければ、今不幸で、その先もずっと不幸でいるという確証もない。その瞬間瞬間で移ろう幸不幸を、親が一生担保するなんて端から無理なのだ。そうだと知ったら、無責任だけど、生まれたらもう生まれた子に委ねるしかないと思った。そして昔思っていた以上に無責任な、愛する人との子どもを見てみたいという身勝手な理由だけで、不妊治療までして妊娠してしまった。

そんな無責任な理由でもうけたからには、生まれたことをできるだけ後悔させないようにしなければならない。世界はこんなに素敵なところだよ、楽しいところだよ、だから生まれてきてよかったね、といいところをたくさん見せてあげなければならない。それを演じる私はこの世の中がいかに理不尽で、嫌なことがたくさんあって、生まれてきたことを後悔するような辛い経験が待っているかもしれないことも知っている。でも親が、私があなたを生んだのに、ここはひどい世の中ですなんてそんなこと言えない。なるべく多くの夢を見せて、明るい未来を話して聞かせ、その世界が少しでも輝くようにしなければならない。親が肯定しなければ、誰が肯定してくれるというのだ。

道化になっても、あなたのことを楽しませよう。面白い話ばかりして、素敵なものばかり見て、いい言葉ばかり聞かせよう。つらいことなんて求めなくてもいくらでもやってくる。それが嘘でも嘘じゃなくても、生まれてきてよかったねと言えるようになろう。

 

そう考えたら、流産が不安だなんてうじうじ悩んでいられなくなるのである。何しろ私とおなかの子はもう、胎盤でしっかり繋がってしまっているのだから。伝えるべきことは、不安ではなく、あなたと共にいられる喜びである。

安定期まで言っちゃダメ

 

安定期まで妊娠したことを言っちゃダメ、と散々言われてきた。万が一のことがあるかもしれないから、と。故に安定期前の今の私は、夫と上司にしか妊娠を報告していない。

では妊娠しているけれど妊娠していないことになっている私がどういう生活をしているかといえば、幸いにもつわりは軽いためいつも通り働き(働かされ)、マタニティマークをつけていても通勤電車では席を譲ってもらえず、家に帰れば妊婦なのでお酒は飲めず、休みの日も趣味のスポーツを辞め、妊婦バレ予防のため友人や同僚にも会えず、もちろんつわりだの母子手帳だの近況報告をする相手もおらず、ただ働いて食って寝るだけの孤独な日々を送っている。

安定期まで、5ヶ月ある。

赤ちゃんのためと思えば仕方ないと諦めもつく。つくけれども、そもそもこの「安定期まで言っちゃダメ」の呪いはなんなのだろうか。

私の友人も同僚も優しい人たちである。一言、「妊娠中です」と告げれば酒は勧めずタバコも吸わず体調に配慮しつつ最近の調子など聞いてくれるだろう。もし万が一のことがあるかもしれないから、というなら、万が一の時こそ配慮してほしい。一番悲しくつらい時まで自分ひとりで抱えなければいけないのはおかしくないか。流産が少なくない確率で起こり、なくせないものなら尚更、周りが気遣ってくれよ、と思う。

要するに、「万が一があるかもしれないから」というのは、妊婦の為の言葉ではなく報告された側の為の言葉なのだ。一喜一憂させんなよ、気遣わせんなよ、迷惑かけんなよ、そんなJAPANの空気を感じる。

万が一のことがあったときに、それを報告するのがつらい人は言わないでよろしい。でも私は、自分の人生で一番悲しいことが起こったときくらい、辛いアピールをして周りに配慮され、助けてもらいたい。助けてくれると信じられる人たちとこそ、喜びも悲しみも分かち合いたい。

そう強く思っているのに、それでもなお言えないのはなぜなんだろう。かくして、アンテイキマデアンテイキマデと呟く妖怪は誕生したのである。

まだ何者でもない赤ちゃん

 

私のおなかの中には「赤ちゃん」がいる。

それがどういう形をしているのか、よくわからない。超音波で見せてもらった写真には、丸かったり、細長かったりしながら写っているけれど、毎回形を変えるので今どういう姿なのかわからない。

というか、今おなかの中に本当にいるという実感もない。つわりはあっても、実際に見たこともなければ触ったこともない存在が、私とは別個に存在するという実感がない。

実感がないのに、私の意識の中には「赤ちゃん」が存在する。「赤ちゃん」のために好きだったビールを止め、バスケを辞め、温活に努めて湯船に浸かり、できるだけ多くの睡眠時間をとる。

「赤ちゃん」って一体何者なんだ。

何かしらの存在を想像するとき、そこにはイメージや情報があるはずである。神さまは目に見えないけれど、白く長い髭を蓄えていて、白い貫頭衣のようなものを来て、頭に輪っかが載っている男性、私ならそんなイメージをする。

仮に生き別れた弟がいるとして、その弟とは会ったことがないけれど、私より年下で、きっと日本語を喋り、顔は両親のどちらかに似て、普通に考えれば社会に出て働いているだろう、と想像する。

「赤ちゃん」は?

性別はわからない。顔も体もできていない。性格もない。最早概念に似ているけれど実体を持ち、しかし知る術はほとんどない。赤ちゃんに対して得られる情報は、私の体の中にいるものに対しての説明ではなく、「多くの場合の赤ちゃんはこうだからあなたの赤ちゃんもそうだろう」という説明だ。今自分の中にいる存在がどういうものなのか把握する材料が極端に少ない。

これが産まれてしまえば、成長してしまえば、いやそこまでいかなくても、お腹を蹴ったり動いたりするようになれば、意思のようなものを感じて、もっとその存在をイメージできるようになるのだと思う。今私が「赤ちゃん」について考えるとき、それは見せてもらったエコーの写真ではなく、検索して出てくるようなイラストでもなく、ただ「赤ちゃん」という言葉で存在を扱っている気がする。妊娠初期の、これほどまでに何もわからない存在が、私の意識を変えてしまうことが不思議でならない。概念でしかないようにさえ感じるのに、実体があり、実体があるのに概念でしかないように感じるくらいわからない。こんなに何もわからないのに、私はこの存在を守らなければならない大切なものとして認識し、行動さえ変えてしまう。何者なんだ。これほどまでに抽象的な存在が後にも先にもあるのか。

これからこの感覚はどんどん失われていくだろう。赤ちゃんには顔ができ、手足ができ、性別ができ、情報がどんどん加えられていく。そしてそれ以外のものではなくなってしまう。今、何者でもないのに、何も知らないのに、愛おしい。そんな不思議な存在が、私の胎内にいる。

光と影

不妊治療をして、世の中には妊娠が難しい・できない人が一定数いることを知り、初めて妊娠をして、一定の割合で流産が起こることを知り…流産の他にも死産、死産の中にも検査の結果子どもを諦める人工死産や、死産が胎児ではなく母体の体質によるもの等、いろんな悲しみがあることを知った。ネットで経験者の声を読んで、どれほどむごいことで、人生を覆す経験だろうと、自分のことではないのに涙が滲む。私がその深い穴に落ちる可能性もあるということ、何より、そういう深い悲しみを抱えた人たちがいることを今までわかっていなかったショックが大きい。

幸福の光が強ければ強いほど、その隣には濃い影ができる。私はもう、影を無視できるほど、子どもではない。

不妊治療中、人のマタニティマークを見るのもつらい自分が、いつかそのマークをつけることになるかもしれないということに悩んでいた。その印を見ることで傷つく人がいるということを知ってしまったのに、自分も傷ついていたのに、どの面下げてそれを掲げられるのだろう。それは妊娠を誇示する目的のものではないとわかっていても、それをつければ、私もまた見知らぬ誰かの加害者になってしまうと怖かった。

今私は希望の光の中にいて、影のことなんて見ようとしなければ見えないのかもしれない。でも、光と影の境界線をふとした瞬間に超えてしまった人たちがいることがいることをちゃんと知っておきたい。知らないと、存在しないことになってしまう。光だけ見ていられたらどれほど簡単で、幸せだろう。その幼さに潜む暴力性さえ知らずにいて、そして奇跡的に光の中だけを進むことができたら、この世界は眩しく美しいものに見えるのだろうか。

私は喉から手が出るほど欲しがって、そして初めて手にしたマタニティマークを、後ろめたさを感じながらつける。不妊治療をしなければ、それはただの注意喚起のマークであっただろう。それが妊娠を誇示するものではないとわかっているけれど、それを欲しがっていた自分が、自分の気持ちのやましさを知っている。

 

そしてそれでも尚、私は自分の気づかないどこかで、人のことを傷つけているのだろうと想像する。私が流死産の悲しみを知らなかったように、何かを知らないことで、あるいは知らないまま起こした言動で、傷つけた人がいるかもしれない。それは仕方のないことで、避けきれないことで、考えだしても何にもならないけれど。そういえば以前職場の先輩が、妹さんが妊娠して喜んでいたのに赤ちゃんの袋の中がからっぽで、体外に出す手術をすると言っていた。あれは稽留流産のことだったのだ。私は生半可な返事をしてしまった。慰められたくて話したわけではないだろうけど、もう少し何か言えればよかった。そんなことがこれから先もきっと起こる。

あるいは無意識に人を傷つけるほど、自分に影響力はないのかもしれない。ただの自意識過剰といわれれば、そんなような気もしてくる。いったりきたりする感情が、どちらの可能性もあって、避けようがなくて、正解もないままゆらゆら揺れているけれど、その中でひとつだけきちんと見えていることがある。私は優しくなりたい。