口の奥の本棚

古に絵本の紹介をしていたブログ。今はたまーにてきとーに思ったこと書いてます。

履ける靴がない

 

 

私の場合、靴屋に行っても履ける靴が売っていない。この恨みは結構深い。靴屋なんてたくさんある。ちょっと大きいショッピングモールに行けば2〜3店舗は必ず入っている。なのに、本当に選択肢もなく1足も履ける靴がなかったりする。

なぜなら私は足が人より小さいから。

いつも履くのが20.5cm〜21cmで、このサイズは調べてみたら今の子どもたち8歳〜9歳の平均だそう。シンデレラサイズ、なんて呼ばれたりもするけど、ディズニーのシンデレラはアメリカサイズ4.5=21.5cmらしいのでシンデレラよりもう少し小さい。

更にいえば、かかとも小さい。縦の長さの問題だけではない。例え20.5cmの縦ぴったりな靴を履いたところで、一歩踏み出せばパカっとかかとだけこんにちは。ゆえにストラップのないパンプスやサンダルは不可。

以前、通りかかった個人経営の靴屋の店主に呼び止められたことがある。君が履いているサンダルは足に合ってないね、こっちに来て、サイズはいくつ?と。一通りやりとりし何足か試し履きした結果、店に履ける靴は1足もないことがわかった。店主は申し訳なさそうな顔をしたあと、トンカチで殴って腫らせてからまた来てくれ、と冗談を言った。なんでこっちが靴屋に合わせにいかなきゃなんないんだよ、と思った。

 

そういうわけで、もう30代なのに、キッズの靴を履いている。惨めである。

 

この惨めさはどこからくるのか。それは世の中に相手にされていないという疎外感だと思う。S.M.Lに該当しない者は私たちのマーケティングの範疇にありません、みたいな。でも靴屋さんが私の靴を作ってくれないなら、何を履けばいいですか?

もちろん小さい人向けの靴やオーダーメイドもある。でも知っていますか。小さい人向けの靴はかなりいいお値段がするし、数が少ないから選べないし、ストラップがついてなくて結局履けなかったりする。オーダーメイドがいくらかご存知ですか。しかもオーダーメイドの靴に受付可能なサイズが設定されていて、その対象でなかったりする。難儀でしょう。

 

こういうことを考えるたびに思うのは、セクシャルマイノリティの人も同じように感じているんじゃないかな、ということ。異性愛が当たり前とされ、結婚妊娠出産が当たり前とされた時代からかなり変わってきてはいるけれど、それでもこう、私たちは「違う」んでしょ?みたいな疎外感。確かにパートナーシップ制度はできました、企業もLGBTQに配慮していることを表明しています、でも同性婚はできないんでしょ?共同で養子を迎えることはできないんでしょ?みたいな。

他の人と同じように靴が欲しいだけなのに、なんで私はこんな苦労しなきゃいけないの?比較することが小さすぎて当事者に怒られそうだけど、同じような気持ちだと思う。

 

世の中の規格から外れる、って、気づかないだけで割とありがちなことなんじゃないだろうか。体型、右利きと左利き、障がいや病気のあるなし、など。それ自体は仕方のないことで、ただそれによって傷ついたり不利益を被ったりしていることに気づいていないことの方が、影響が大きい気がする。そういう微かな傷に、自分でどんどん気づいてあげたい。傷ついていることに気づかないと、それは自分が悪いわけではないと言ってあげることができない。

 

 

だから、自分の足をトンカチで殴らなくてもいい。殴るのは靴屋の発言の方である。