口の奥の本棚

古に絵本の紹介をしていたブログ。今はたまーにてきとーに思ったこと書いてます。

歯医者

2ヶ月近く通った歯医者が今日終わった。

 

私は昔から歯が弱くしょっちゅう歯医者さん通いをしていたので、口内は穴ぼこチーズに白いプラスチックを詰めたような歯ばっかりになっているはずである。それでもなんとか、また虫歯0の状態に戻ることができた。

これからは定期的に検診を受けよう。治療を終える度に誓い、そして毎回忘れる決心を今回もする。

 

そういえば小さい頃は通うたびに石膏の人形やシールをもらった。治療のあいだに手の甲に白いペースト状の何かで花の絵を描いてくれたりもした。歯医者に行くのは毎回泣いてごねるくらい嫌だったけど、手に描いてもらうチューリップはとても嬉しかった。

大人になった今はもちろんごねることも嫌がることもなく普通に通っていて、なんなら歯医者に褒められるぐらい痛みに強く、順調に治療を終えたわけだが、それでも思い出してみるとなんだか、あの石膏の人形が無性に欲しくなってくる。あのとてつもなく無用ですぐ捨てられる石膏人形。あるいは治療後30分も経てば取れてなくなっている手の甲のチューリップ。がんばりましたの証。

 


大人になったって痛みに強くたって、わざわざ医者に通って痛みに耐えていることには変わりない。虫歯になったから歯医者に行くなんて当たり前のことだとはわかっていても、一連の治療が終わった今日くらい、何かご褒美があってもいい。

そうは思っても、そのご褒美はもう他人から与えてもらえるものではなく、自分で自分に与えなければならない歳になっていて、そして自分に何を与えてやればいいかわからない歳になっている。

当たり前のことを当たり前にやっただけ。大人なら当然。褒美なんてもらえるほど何かをがんばって達成したわけじゃない。そんな気持ちがあるからこそ、他人から認められ与えられたい。いらない石膏人形とか。

 

家に帰ってきて、バッグの中の診察券を取り出し、手を洗う。
あれを貰えなくなったのは何歳の時だろう。大人しく歯医者に通えるようになったのもその頃だろうか。

今だって、欲しいものとか、役に立つものとかじゃなくて、本当になんでも、いいんだけどなあ。

何枚目かの治療の領収書と一緒に、そんなやるせない気持ちもそっと仕舞うのだった。